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第5回、歴史授業 弥生時代の王たち

歴史教室

こんにちは。

第5回の歴史授業のご報告をします。

今回は弥生時代の王のお話しの受業でした。

いまから、230年ほどまえに北九州の志賀島のお百姓さん、「甚平さん」が見つけた黄金の金印を見ることから授業は始まりました。

 

 

 

まず、すごいことが、こんなに黄金でできた価値の高そうなものを、自分の懐にしまわずお殿様に届けた甚平さんの心がけ、そして、お殿様も私腹のために設けようとせず貴重物として取り扱ったことで、こうして貴重な遺産が残ったことです。甚平さんやお殿様の正直な心掛けがなかったら、昔の日本と大陸との関係を形としてしることはできなかったとおもうと、すごいなーーとおもいました。

そして、この金印からわかることです。

純金で弥生時代のもの、文字のようなものがみえることから、はんことわかりました。

ハンコを押すと、「漢委奴国王」(かんの わの なこくの おう)と書いてありました。(この文字の中の「委」というのは、「倭」当時の日本列島のこと)

「奴国」とは北九州にあった国でそこにいる王さまのはんこだったようです。

ということは、このハンコの意味は、

「漢の国の倭国の王」????

 

さあ、どういう意味なのでしょうか??

 

中国の昔の本「漢書、地理誌」には紀元前1世紀ころの日本についてこのように書いてあります。

「東の海には倭人の住む島があり、百か国以上に国が分かれていて、毎年漢に倭の国の王がきて貢物をしている。

次に、「後漢書、東夷伝」では1世紀ごろの日本についてこう書いています。

「建武中元2年、倭の奴国の王が貢物を持ってきた、漢の皇帝である光武天皇は、ひものついた金印をあたえ、奴国の王として認めてあげた。」

同じ本に2世紀ごろの日本については、

「倭の国王である師升たちが貢物を持ってきた。倭国は長い間国同士で争いあいなかなか平和が訪れなかった。」

と書いてあります。

 

ということで、金印というのは、中国の皇帝に「倭の奴国の王としてのしるしをお前に上げよう。」といわれ、「王」として認められた証拠の印籠のようなものであったことがわかります。そして、ということは、この時代の日本は中国の子分のような間柄の「中華柵法体制」の一部分だったのですね。

さて、、

漢字の意味をかんがえてみましょう。

「倭」-------背中の曲がった小人

「奴」-------奴隷、召使

「夷」ーーーーーーー野蛮人

 

このころの倭国王は、漢字の意味も知らなかったので、同じ音の文字の中で「悪い意味」の漢字を使って上下関係を表すことも、漢の皇帝にしてみれば可能であったことも見て取れます。

 

なんだか、そのころの漢の一部の国のように扱われていたのは悔しいといえば悔しいですが、でも、漢字の読めなかった倭国の王が、「中国の子分」になっていたと認識していたのか、、ということも疑問に思います。(私の考え)海の向こうに強い国があるから、仲良くしておいて、自分の国が倭国の中での戦争で危うくなった時には、「この友好関係が役に立つだろう。。」と利用していたつもりだったかもしれません。どちらにしても、この時代の倭国は戦国時代のように乱れていたようで力関係では漢に及びもしなかったと思いますが。。。 🙄

 

この日のクラスでは、生徒さんみんなが、「ちょっとくやしいわ。。。」といった意見でした。(苦笑)

 

でも、まあこの悔しさを胸に、次の授業に進みましょう!!

 

次回は、第6回「邪馬台国の女王 卑弥呼」の授業について書きますね。

 

 

 

 

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