源頼朝はどうやって朝廷を守り抜いたか?一所懸命の意味 第21回歴史教室


こんにちは。

今日は「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」についての第21回歴史授業のご報告をします。

(このいい国作ろうの語呂合わせで覚えた方が多いし、わたしにとってもおなじみなので、1192年と書いていますが、この1192年は頼朝が征夷大将軍に任命された年ということであって、鎌倉幕府が実質的に作られたのは、1185年だそうです。試験をする人はどちらも覚えておけばいいですね。)

 

鎌倉幕府を開いた人物。。源頼朝

 

第20回目の授業で、平家を破った源氏軍団の棟梁、源頼朝は平家滅亡のために必死で戦った自分自身の弟源義経を排除し追ってを差し向けて殺してしまったことはお話をしました。そして、理由は(と思えること)、

頼朝が、「古い国の体制を根本から変える!!という考えを持っていたから」

でしたね。。

義経は、源氏一族が朝廷の中で高い地位を得て、源氏が栄えることが、平氏と戦うことの目的だと考えていたようで(と考えられる行動を起こしている)、頼朝は、そういった考えの義経を生かしておいたら、朝廷で力を握っている人たちに義経は利用され、自分自身が倒されると思ったのです。

 

 

ところでみなさん、、いっしょうけんめいは、本当は一所懸命とかいて、

「いっしょけんめい」なんですよ。

 

いつのまにか、「一生懸命」と書くようになってしまっていますが、本来は、一所懸命が正しいのです。

 

ーーうんちく1.ーー(斎藤先生の受業から)

一所懸命というのは、言葉を見てわかるとおりに、場(土地)を懸命に守ることであって、武士が先祖代々の土地を命をかけて守るという意味なんです。一生懸命というようになったのは、近世になり、意味だけが残って発音も「いっしょう」となったことからこの漢字といい方が使われるようになったのですね。いまではどちらでもいいらしいですけど、どういう過程でこの言葉ができたかを考えると楽しいですね。

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ということで、この字はとても重要な意味を持っているのです。

 

「一所懸命」

 

そう、、この言葉通りに、武士たちは土地を命がけで守りました。そして、その土地の所有を認め、その権利を守ってくれるリーダーが頼朝だったのです。

頼朝のやりたかった新しい政治というのは、

 

「武士による武士のための政治」

 

で、今までの権力者のように太政大臣になって朝廷の中で政治を進める政治はだめだと考えていたのです。

 

では、、ここで斎藤先生からの質問です!!

 

 

 

さああ、皆さんはどうしますか??

 

教室の生徒の皆さんはBを選んでいましたねー。

 

理由はほとんどの人が、「武力で政権をとっても同じことの繰り返しだ。」「大化の改新をおもいだせ。」

「武力で政権を取ろうとするとほかの反対勢力にケンカを売ることになってそのうち殺されるだろう。」

「天皇に認めてもらう努力をしてみて、ダメならあきらめる」「まずは天皇に認めてもらう努力をしてだめなら武力で。。」

 

ということでした。

 

A を選ぶことがまちがえだとかそういったことじゃないのですが、このころの授業になると、生徒さんみなさんが、

 

「日本の政治のやり方。。」または「日本という国の在り方」、つまり、

 

「天皇陛下」

の大事な役割、重要性をしっかりと認識するようになてくるのでしょうね。

 

この時間にひょっこり出席できた私の息子も、Bを選んでいました。

彼の場合は、

 

「Aを選ぶと、天皇陛下についている人とも戦わなくてはならなくなってしまうし、もしそこで勝ったとしても、今度は自分が同じように誰かから攻められるかもしれない。そうなると、同じことの繰り返しになって国が定まらない。天皇陛下から認めてもらって国を治めた方が軸がひとつでいい」

 

と、びっくりするほどまともなことを言っていました。

そういえば、出席していたハーフ君(ちゃん)たちは、英国とスペインそして、タイという「王様、女王陛下」のいる国だったからこういう答えになったのでしょうか?なんだかおもしろいですね。

 

 

そして、、

 

ご存じのとおりに、頼朝は朝廷に認めてもらうことを選び、望み通りに「新しい武士の政府」を作ります。

下の手紙は頼朝から、当時の朝廷のリーダーだった、「後白河法皇」に出したものです。

 

「わたしたちは、朝廷をお守りするために平氏を滅ぼしたのです。法皇(院政)のご命令に背くようなことは致しません。」

 

 

頼朝は後白河法皇から「征夷大将軍」という位に任命されました。これは、

 

「武士のリーダーとして政治をすることをゆるすぞよ」という意味だったのです。

 

さあ、これからが、頼朝の考える新しい政治の始まりです。

天皇を国の頂点として武士が天皇からのご命令で国を守り政治をすることです。

(注)ただ、頼朝が征夷大将軍の位を与えられた時にはまだ、全国統一しているのではなく、京都(西日本)と関東一帯(東日本)の政治が分かれていて、当時の頼朝の地位というのは、関東地方の棟梁という形だったようです。)これで、鎌倉様。。と呼ばれていたのも何となくわかりますね。

 

 

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今度は余談①ですけど。。 🙂

 

⇧のこと(国をまもる武士が政治を行うこと)って、考えてみればすごいことですよね。今でいえば、軍事国家になるの???でも、国を守る立場の人が政治を行うことって、いいことでもありますよね。近年、軍事国家といえば、悪い印象が漂っていますけど「武士国家」といえば悪い印象も吹っ飛びますね。これは何かなーーと考えると、「武士道」に行きつくと思うのですね。

強い人ほど、(もしくは権力を持つ人ほど)自制心や道徳、忠義を持っていることが大切なことを「武士道」で学ぶので、今でいう軍事国家の江戸幕府(も、、武士ですからね)自制心や道徳観念をもち、ひとに対しての忠義などがあったからこそ、人々に支えられて260年近く続いたのでしょう。

武士とは関係のない平安時代は400年近く続きましたけど、外国からの脅威とは無関係でしたしね。。

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さて、、ここで、じゃあ、朝廷ってなんだったの???頼朝のおこした鎌倉幕府とどこが違うの??

 

朝廷だって天皇から位を頂き政治の実権をにぎっていたのだから。。

 

と疑問がわきませんか??

 

 

では、、平清盛や、その前の平安時代に行っていた朝廷政治と源頼朝の行った征夷大将軍の鎌倉幕府の政治を比べてみましょう。

 

覚えていますか?

藤原道長。。貴族のこの人は、自分の娘を天皇と結婚させて政治の実権を握っていました。

 

 

朝廷ーーーー天皇がリーダー(なのに、結婚した先の義理父や、祖父に実権を握られてしまうことが多い)で、天皇を中心として、貴族が政治の実権を握る、摂関政治。

幕府ーーーー実質的な政治のリーダーは武士(でも、天皇から認めてもらわなければならない)で、中央政権を掌握する、武士政治。

 

平清盛は、貴族中心の朝廷政治から、武士中心の政治にしたところが功績と言われていますが、結局彼も、今まで貴族がしてきたことと同じことをしただけ(結局平家も由緒ある公家でした。)で、貴族からも武士からも反感をかうようになったのです。だから、清盛は武士政治を始めたようでしたけど、彼がしてきたのは、朝廷政治なんですね。

 

朝廷政治も武士政治も、天皇がピラミッドで行ったら一番頂点にいることは変わりがないのですが、朝廷政治の方は、朝廷の中から国司を地方に派遣する制度だったのに比べて、武家政治の方は地方に守護。地頭が置かれてその役割は地方の武士が行い、それを中央政権が統一するという構図です。

また、守護や侍所を設置して、御家人の管理も行っているのです。

朝廷政治ーーーーー中央、政治(天皇、貴族)地方(派遣された官僚つまり、国司)

武家政治(鎌倉幕府)ーーーーー地方(武士,守護、地頭)中央、政治(武士)→天皇

 

こうやって見てみれば、地方に派遣された貴族たちが、私服を肥やしたり、その土地のことを顧みなくなるのもわかりますね。なぜなら、自分の知らない土地に愛着がわくわけがないですものね。

その点、地方から中央集権へ向かう武士政治は御恩と奉公というように、御家人が御主事様のために働いた報酬として土地を頂き地頭となって、武士がその土地を守ることで、農民からの税金を頂戴し、中央政府に回す。農民としては、自分の土地を守ってもらえていれば安心して働くことができるので、収穫が増えるし、収穫が増えれば税金もたくさん払えるし、武士も農民、その場所に暮らしている人もウィンウィンの関係になります。また、なんといっっても、侍所といって御家人や侍を監視する機関があるのもいいですね。

 

 

ということで、頼朝がしたことは長年続いてきた、「天皇+貴族」中心の政治体制からの脱却、もしくは、天皇の近くにはこびって美味しい汁だけを吸ってきた人たちの体制にメスを入れた大改革だったのかもしれません。

まあ、頼朝もですね、自分の地位をゆるぎないものにしようとしたかわかりませんが、自分の娘を天皇と結婚させようとしたのですけど。。。でも、頼朝の娘(長女)は自分の父に自分の愛する夫(まだ小さかったのですけどね)を殺されて、この父親の考える政略結婚に断固として拒否して20歳で悲しみの中死んでしまうのです。

 

 

頼朝が天皇と親戚関係をむすびたかったとしても、政治体制が変わり、

貴族の荘園を耕せてもらって、税金を払って生活する体制から、(これでは、貴族の経営する荘園がどんどん大きくなり、しかも農民は国に払っていた税金を貴族に払うので(貴族の持っている荘園だから)国にお金が入ってこなくなり、国が国民のために整備しなくてはいけないものができなくなって荒れてきてしまったのですね。

そこで、地頭を置き、今まで貴族が管理していた荘園や公領を管理し、守護というその土地を警備する人をおいてしっかりと中央政府に税金が入ってくる制度にしたのです。

これが、頼朝の開いた鎌倉幕府のすごいところでしょう。

 

 

さらに、頼朝のしたことで、すごいなと思ったことはもう一つあるのです。 😉 

 

 

それはですね、、

と話す前に、、思い出してください。。目をほそめてとおーーい昔の日本建国の時期を。。。。

 

よく考えれてみれば、神武天皇の日本統一のときには、天皇も自分から弓を背負い、馬に乗って戦っていたのですよね。

 

 

 

神武天皇が武力で日本を統一し、聖徳太子が知力で日本を統一したときには貴族も、いざとなれば戦いにでていたのに、(聖徳太子でさえも)平安時代になり平和な世の中になってから、いつの間にか、「自分や自分の大切な人のことを守る為には戦うことが当たり前」という気持ちを忘れて「戦うこと」が「えげつないこと」や「品のないこと」と思うようになっていったのですわ。遊んで利権を得て暮らすことや、自分のことしか考えないようになった国の中心にいる貴族が多くなれば、庶民の生活もみだれ、あれて泥棒が増えて犯罪が多くなり、武士という、用心棒のような存在が出て来るのも当然だったわけですね。

 

 

それで、、、

 

だからこそ、

 

頼朝はすごいと思うのですよ。

 

普通、ここまできたら、

 

「「貴族たちに利用されて、弱い天皇」を、いまぶっ潰してしまおう。。」

 

とかんがえてもおかしくないと思うのです。

 

当時の天皇が、神武天皇のように迫力あったのならお伺いすることもわかるのですが、平家に利用され、権力をほしいままに操られていたんですよ。平家を滅ぼしたのは、頼朝軍団(義経ですけど。。)なので、このままいけば、征夷大将軍なんて頼まなくてもよかったと思うのです。

 

でも、、

 

頼朝は、「天皇中心の国の形」は壊さずに、天皇から任命されて「征夷大将軍」となって国をつかさどることを選んだ。

聖徳太子が築き上げ、長年日本の伝統の政治方式をかえずに、それを受け継いだのです。

だからこそ、、

頼朝は、聖徳太子と同じように日本の将来を決めてきた大事な歴史上の人物なのだと思うのです。

そして、

残念ながら、、

こう考えれば、義経を追いやったこともわかるんですね。。(まあ、義経が生きていたらまたそれは、どうなったかはわかりませんけどね。。)

 

 

 

頼朝は、鎌倉に幕府を開きます。

 

 

 

こうやって、地図で見てみると鎌倉って、バッチリ守備ができるいいところにありますね。

 

また、山と海に囲まれた素敵な場所!!

 

余談②ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

源頼朝が、天皇から征夷大将軍に任命されて、武家政治が始まるのだけど、最初の方は上記で鎌倉幕府と朝廷政治の違いでも話し、この⇧の地図にもあるように京都の朝廷がなくなったわけではないのです。京都の方では公家の力がまだまだ強かったし、国司をまだ各地に送っていました。頼朝の家来ではない武士もたくさんいて、お寺や公家に仕えていたのです。つまり頼朝の力は関東に限られていたといってもよく、公家は早く言えばまだまだ政治をやる力はあったのです。

頼朝も、関東地帯を統一させるのに精いっぱいだったということもありますが、政治と天皇+朝廷というものがくっきり綺麗に分かれられたのかもしれません。

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最後になりますが、、

源義経と源平の戦い 斎藤武夫先生歴史授業第20回のまとめ

にも書きましたけど、

鎌倉時代の源家の役割って、、3代でおわっているんですよ。

 

 

 

4代目将軍からは、朝廷の貴族から選ばれたのです。そのころ幕府の実権を握っていたのは、頼朝の妻の父君北条氏ですが、結局この一族も将軍の家来で御家人なので将軍にはなれず、京都の公家から幼児を迎えて将軍にして、幼児の将軍の代わりに政治を行ったのです。これを執権政治といいます。

その後「承久の乱」という後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒としての兵をあげさせた乱がおこります。いったん兵を率いた北条泰時は引き返してきて、父「泰時」に聞くのです。

「もし、上皇ご自身が出陣してこられたら、上皇に弓を弾くことになりますがどうしたらいいのでしょうか?」と。。

 

為時は言います。

 

「もし、上皇ご自身がご出陣してきたら、武器を捨てて降伏せよ、でもそうでなければ、あくまでも戦って幕府を守ろう。」と。

 

また、上皇に弓を向けることに動揺した武士たちにした、北条政子の演説も有名です。

 

「今は亡き頼朝公に面倒見てもらってここまで出世したのに、今更腰が引けてどうするんじゃーーい。あちら方につきたいのなら、文句は言わないからさっさとおいき!!」

 

みたいな啖呵を切ったらしいですね。まあ、いろいろな意見があるでしょうが、

 

いい意味で、「さすが田舎のおっかさん、」

 

というかんじですね。たぶん、、天皇にはむかうというよりも、頼朝の苦心して作った鎌倉幕府を壊そうとしている人は誰も許さんぞ。。といった気持ちだったのではないかと思います。

 

これで、幕府側が勝ち、日本全体が、鎌倉幕府に統一されていきます。

後鳥羽上皇は隠岐島に流されましたが、天皇家が途絶えたわけではなく、しかも平氏のように滅亡させられたわけでもなく甥の御堀川天皇が天皇家を継いでいきます。

鎌倉幕府は、朝廷と戦いになって武士政権を統一させ、はじめて国の政治をつかさどる実権をにぎることになりますが、朝廷は京都に残し天皇陛下はそのままそこで江戸時代が終わるまでお住みになるのです。

 

斎藤先生のお話から。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「政治の天才頼朝のアイデアのおかげで、その後の室町幕府や江戸幕府においても大昔から続いてきた「天皇を中心とする日本」が守られたのでした。そして、天皇と公家の朝廷は、政治は武士にまかせて、神様に日本の平和を祈り、昔から続いていた伝統文化や日本らしい行事を守り伝えることを主な仕事にするようになったのです。」

「ところで、この国の形は今も変わっていません。国民は選挙で内閣総理大臣(の政党)を選びます。彼は天皇陛下に任命されなければ内閣総理大臣にはなれません。この仕組みを立憲君主制といいます。」

 

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まとめ。。

 

ちょっと、守護、地頭のことや、朝廷政治と幕府のことをもう一度調べなおしていたら、すごく長い文章になってしまいました。

でも、調べている途中で、鎌倉幕府がすぐに日本の中心的存在の政府だったわけではなく、最初は西日本の朝廷と、東日本の幕府というように、分かれていたということがよくわかりました。

また、源頼朝が、なぜ日本の歴史上の人物として、すごかったかもようやく理解できました。

「封建制度の初期版」を作り上げ、御恩と奉公制度と侍所を作って御家人の管理もしたことから、中央政府にきっしりと税金が入るような仕組みを作ったのは画期できですね。また、武士が国の安全を考え、日々訓練をしたりするような制度ができていなかったら、次の授業でやった、「元寇」の時どうなっていたのか。。。。。。とプルプル震えちゃいます。

 

日本の歴史は、小学校、中学校で勉強して少しは知っていた気がしていましたが、斎藤先生の授業をこの年になってから受けて、新たな発見があることはとても楽しいです。

それでは、次回は「北条時宗と元寇」の授業報告をしますね。お楽しみに!!

 

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