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第34回歴史授業「歌川広重と浮世絵」江戸時代の日本文化

Japan

感動の日本文化、歌川広重と浮世絵(歴史授業第34回)

みなさん、こんにちは!

久しぶりの歴史授業の報告です。

実は、第26回「足利義政と室町文化」も書きかけで、歴史教室が、2か月お休みだったことで、ずいぶんとのんびりしてしまい、(普通ならその間にかけばいいんですけどね。。)そのあと26回から授業報告が書けていない状態なんですね。。ごめんなさい。

ということで、8回分飛ばしてしまいましたが、それはゆっくりと書いていくということにしまして、今日は、先週やった34回の歴史授業の報告を書こうとおもいます。

(飛ばしてしまった授業報告はまた書きますので、お楽しみに!)

さて、、 この中で家に飾るとしたら、あなたはどれを選びますか?




このブログをお読みの皆様は、どの絵も一度はみたことがあるのでしょうか?

人の好みは本当に様々で、授業の時にも、皆さまそれぞれいろいろな理由で、ご自分の好きな絵を選んでいました。

私と息子はやっぱり、、、

北斎の、波がだだーーんと描かれていて、遠くの方に富士山がみえるものを選びました。

息子の選んだ理由は簡単で

「よく見たことがあるから。。。。」 🙄

なんて、単純な答えなんだ。。もう少しましな答えはできないのか。。。と母は思いましたが、

さっき家を掃除していたら自分でも忘れていた絵が。。。

OH NO 😯 

家にあるじゃん。。。

ずっと前に、チャリティーショップで買ったものかな??

(確かこれを買ったのは、写真のフレームが欲しかっただけだったんだっけ。。)

歌川広重

さて、、

授業では、北斎ではなく、歌川広重のお話をしました。

(北斎もすごい人生を歩んだ人で、上の写真の絵「神奈川沖浪裏」は作曲家ドビュッシーが好きで交響曲「海」の楽譜の表紙にはこの絵を使っていました。去年はイギリスの大英博物館でも「北斎展」をやってたんですけどね。)

広重についてです。。

先生の御本「授業作りJAPAN」から引用します。↓

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広重は大先輩の北斎を尊敬し、風景画に新境地を開きました。亡くなった1858年は、安政5年、江戸幕府がアメリカなど5カ国と通称条約を結んだ年です。広重は、「東海道五十三次」が出世作で教科書でも此方が出ていることが多いです。

極端な遠近法、鳥瞰やズームアップなど斬新な構図も多く、どれも視覚的に面白い。

1855年(ペリー来航後2年で幕末の動乱が始まっています)、安政の大地震が起きて江戸は壊滅的な打撃を受けます。建物は倒れ、焼け落ちて、あの平和で豊かだった江戸はみるも無残な姿になってしまいました。広重はその翌年から「名所江戸百景」の筆を執ります。かつて人々でにぎわった江戸の名所、目の前には失われてしまった江戸の名所の長閑で美しい風景を、人々がいつでも思い出せるようにしたいと考えたのです。

広重は、名所絵を全部で118枚、亡くなるまでの3年間、懇親の力を振り絞って書き続けました。おかげで私たちは平和で豊かだった江戸の町をこの作品を通してみることができます。

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斎藤先生からの質問

さあ、、この絵は誰の作品だと思いますか??

知っている人が多いと思いますので、、、

じゃああーーん

ゴッホだったんですね。

「ひまわり」で有名なゴッホは生きている間は彼の絵は全然売れず、とても貧乏な絵描きさんでした。

このタンギー爺さんは画材屋さんで貧乏だったゴッホに絵の具やキャンパスなどを与えて、書き続けられるようにしてあげたそうです。ゴッホはとても感謝して、タンギー爺さんの絵を何枚か書き残しています。

私はこのお話は、授業で初めて聞いて、「タンギー爺さん」の絵が温かさに満ちているということもあり、ゴッホの絵の中では一番好きになってしまいました。

タンギー爺さん。。いいなああ。このタンギー爺さんの絵は、ゴッホが」浮世絵と出会ってからの作品です。

ちなみに浮世絵に出会う前のゴッホの作品をみてみましょう。。

簡単な言葉で言えば、、

暗いですね。。。 🙄

広重の絵

上の4枚の絵の中で、右2枚が広重の絵です。

↓2枚の絵を見てください。

2枚とも、左が広重の絵で、右は浮世絵、そして、広重の絵に魅せられたゴッホが模写したものです。


ゴッホが亡くなった時には、トランクがひとつだけベットの下にあり、そのトランクの中には、なんと浮世絵は400枚も入っていたそうです。

本当に、浮世絵が好きだったのですね。。

日本人として、、なんだかうれしいエピソードです。。

また、、

去年の9月に開いた、海外在住の人達の子供たちの日本語教育についてのセミナーで、

日本語を勉強することが嫌になった、絵を描くことが好きな子供を美術館に連れて行ったときのお話がありました。

とても有名なゴッホの絵をみたときに、

「ゴッホは日本人の絵にとても感化されたのよ。」

と話しをしたら、お子様がびっくりして、自分が日本人でいることに誇りをもつようになったのか、とてもうれしそうになり、絵を描くこととともに、もっと日本のことを知りたいと思ってくれるようになった。

とのことでした。

この上の絵も知らなければ、

「日本人」が、ゴッホの絵をまねしたと思ってしまうかもしれませんね。。

(余談)

アメリカ映画の「7人の荒野」の監督が、日本映画で、黒澤明監督の「7人の侍」をまねて作ったことも、今ではウィキで見て誰でも知っていることかもしれませんが、

うちで、「荒野の7人」を、

「いい映画だからみろ――」とうちの主人に言われたときに、

「これ日本映画の巨匠、黒澤明監督の「7人の侍」の真似真似小僧で、

「アメリカ版リメイク」ですから。。

といった時には信じられない顔をされましたが、

知っていてよかったですわ。

うしし。 😀

まあ、そんなお国自慢はしなくても、海外に住んでいてお子様がアイデンティテイ―に悩んでいたりする時に、こんな話をしてあげると日本人としてのアイデンティテイ―を持つことも、うれしくなってくるかもしれないなって思いました。

浮世絵について

浮世絵とは、、浮世を書いた風俗画(庶民生活や日常生活のさまざまな面を描いた作品)で、木版画、絵画(肉筆画)のものがあります。もちろん、絵がのものは一点ものなので、価値が高く、普通の庶民はなかなかけるものではありませんでしたが、木版画は版画であるために、同じ絵柄のも野を大老に刷り上げることができ、一般庶民も買って家に飾り楽しむことができました。

そして、絵師が描き、彫師が板に彫り、摺師がたくさんの絵の具を使って指定されたように刷り上げる。。

この三者共同制作、多色刷の浮世絵を「錦絵」といいます。

↓はこの間日本に帰った時に、「江戸東京博物館」に行ったときに、感動してたくさん撮った写真です。




授業の話とは関係ないですが、江戸東京博物館は、楽しめるので遊びに行くといいです。

わたしはこれを見て感動したんですよ。

だって、、江戸時代って、、1600年から1820年くらいの間ですが、こんな昔にもうすでに、こんな絵が普通の店に売られていたっていうのにびっくりしたんです。

いいですか?・貴族じゃないですよ。。

ふつーーーーーーうの庶民がちょっと街を歩けば、こんなお店で絵を買うことができたっていうのが、、、、びっくりでした。

そして、、この版画の浮世絵、、、いくらで買えたでしょうか。。

もちろん今のお金でですよ。。

なんと、、びっくり仰天の

たったの500円で買えたそうです。。(当時の貨幣の価値で)

いまでいうと、駅のお蕎麦屋さんに行って500円で掛けそばを食べる値段と一緒だったそうです。。

これなら、、

お昼ご飯一回我慢して、好きな絵を買うことができますね。。

感動。。。。

さて、、

どのように版画に色を入れていくか見てみましょう。

すごいですねーー

そういえば、、私が小さいころは小学校でも版画を習いましたし、(ここまでじゃないけれど)学級新聞を作るときもこうしてローラーで黒いインクを載せて、回しながら作ったなあ。。

それにしても、、

ここまで手間がかかってたった、500円なんて、、、安すぎますよね。。

授業でも、最初はみんな、

「まあ、大量生産だから安いんじゃないの。--」

なんて調子に乗って話していましたが、

先生から別の動画でしたが「浮世絵に色を入れていく作業の動画」をみせてもらったあとは

生徒さん一同

「安すぎる」

という意見の一致でした。

世界初のカラー印刷

この「錦絵」なのですが、1765年に、浮世絵師「鈴木晴信」が多色刷りの木版画を創案しました。

西洋の「三原色理論」にもとづくカラー印刷が実用化されたのは19世紀後半ということと、同じように色を入れても、細かいところは筆で入れていたということもあったということでこの錦絵が世界初のカラー印刷技術ともいえるでしょう。

まとめ

浮世絵を版画にして印刷することにより、素晴らしい絵が大量生産でき、庶民が買うことができたなんて!!

今の考えでは??当たり前じゃん。。と思うかもしれないけれども、

1780年代で、才能ある作家の作品を家のふすまに張ったりして飾っていたのは日本人くらいじゃないでしょうか。。爆

しかも、今でいうコピーとはいえ、このコピーの技術も優れもの、、、芸術品と言えるほどの技術を使ってのものなので、

2重の芸術品をもっていたことになりますよね。。

また、よくよく考えるとですね、

「紙」

が、浮世絵用の上質の「紙」を作れる技術にもびっくりです。

上質の紙を作ることはできたかもしれないですけど、あんなに大量生産できてしまうなんて。。

紙を作ったことがある人はわかるとおもいますが、、

難しいですよね。。

自分が趣味で作るようなざらざらの紙なら風味があって「いいじゃん」って自己満足できますけど、同じように均一に、しかもあの時代に大量生産できていたというのがびっくりですわ。

そんな話を父としたら、

「しかも、紙もいろいろな種類の紙があった。洋服の型紙を作るようの紙とか、魚を包むようの紙とか、雨にも丈夫なような傘用の紙とか。。」

と聞いて、そういえばそうだ!!と、さらに感動。。

日本人の凝り性は、昔からだったんですわ。

なんて、のんきで平和な時代だったんだろう。。

というか、、

それが「普通」だと思っていた日本人の、おおらかさも感動的です。。

そう思いませんか?

私は、イギリスに住んでいるので1700年―1800年代のイギリスはどんな感じだったのかな・と思い、動画を探してみました。

日本のものと一緒に載せますので、見てくださいね。

London (1700's)
Historical slideshow created to show the way people lived in London, in the 1700's. All these images are available on th...

イギリスがコンクリートで家も建てら、もうすでにコンクリートジャングル 🙂 になりつつあるのとくらべ、日本は素朴ですね。

まあ、イギリスみたいなこんな鉄筋を使った建物を見れば、幕末の日本人がヨーロッパにいって「わしらは遅れている。」とびっくり仰天するのもしょうがないかもしれませんし、私もそう思ったかもしれません。

でも、、そのころのどっちの町人になりたいかな??と考えると、、今の私なら「江戸時代の町人の娘になりたいな。。」と思います。

理由は、、江戸時代の方が町人が自由で楽しそう。。(って見える) 😀

「上には上がある」

という日本人の精神性、そして、向上心、、のおかげで、良くも悪くも私たち日本人は

「おおおおおーーすっげーーー」

と自分とは違ったものを持っている人や文化を尊敬し、大事に敬いますが、

敬いしすぎて、自分たちの持っている素晴らしいものを忘れがちですよね。

わたしがそうなんですけど。。 😳

色々な人が言っていることですけれども、

「目の前にあるものや、近くにいる人を大事にしましょう」

って、日本の文化にもいえることなんですねえ。ってしみじみ思いました。

もちろん、、おごり高ぶって

「日本が何でも一番、最高!!」

と思えというわけではなく

「上には上がある」

という心を忘れずに、お先祖様が残してくれたものを大事にし、

また、

何故、ご先祖様はなぜ大事にしてきたのか??

ということを考えながら生きていきたいと思いました。

10月からお休みしていた「日本が好きになる歴史教育!」教室が1月からまた再開しています。第70回授業の36回目ですが、1回1回の完結授業ですので、途中からの参加でも全然大丈夫です。

斎藤先生のオンラインライブ歴史教室についてはこちらをご覧ください。

それではまた!!

最後までお読みいただきどうもありがとうございました!

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