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藤原道長と平安時代の貴族の生活 第17回歴史授業

歴史教室
Copyrighted free use File:Fujiwaranomichinaga.jpg

こんにちはー。

 

授業報告がおくれてごめんなさいーー!!

 

 

とうとう歴史授業も17回にはいり、平安時代に入りました!!

 

 

平安時代というと皆さんは何を思い出しますか???

Genji emaki azumaya

わたしはやっぱり、お多福みたいな丸い顔をした媛子カット(うわさの姫子っていう漫画が流行ったんですわ。私が小さいころ)

姫子カットはこちらからみてね

 

(あ、ごめんなさい。姫子はかわいかったんだけど。。)

 

 

まあ、とにかく、平安時代というと、十二単を着て髪の長い女性たちと、烏帽子をかぶった男性が優雅に和歌か何か書いていることを想像しちゃいます。

 

 

さあ、始めましょう。

 

 

「鳴くよ鶯平安京(794年)」が有名ですね。桓武天皇によって都が平安京にうつったときから、400年近く続いたのが平安時代です。

 

実は桓武天皇は、平城京から長岡京に都を移そうとしていたのですが、工事現場で工事を任されていた藤原種継が暗殺されたりして長岡京の造営が滞るようになり、費用がかさんできたところを、和気清麻呂に平安京遷都を奏上されたので、再び都の遷都がきまったんですね。。(そうそう、お天気お姉さんの半井小絵さんは、和気清麻呂の子孫だそうですよ。。)

そして、11歳で漢詩を作ったといわれる、菅原道真の提案で、894年の第19回で遣唐使の派遣を終わりにしました。

Yoshitoshi - 100 Aspects of the Moon - 16

 

菅原道真といえば、一流の学者、政治家として活躍したにもかかわらず、無実の罪で教徒から大宰府に流され、その一生を終えた方で今は、

学問の神様、厄除けの神様として大宰府天満宮に祭られています。

20100719 Dazaifu Tenmangu Shrine 3328

皆さんも、受験の時などお参りに行ったのではないでしょうか?

 

 

さてさてさてーー質問です。

 

 

 

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皆さんはどうおもいましたか?

 

平安時代に至るまで、隋、唐からいろいろなことを学んできましたが、この学んできたことをもとに、

 

今度は独自の文化を作るようになったんですよー。

 

 

そしてそれを、国風文化といいます。

基本的な国つくりはおわり、政治も安定してきて戦争の心配もないとなると、趣味や物事を奥深く追及したりできるようになるんですね。

 

平安時代の文化

 

1.詩や歌を作る事が流行る。

2.蹴鞠や碁、駒で遊ぶ。

3.寝殿作りの建物ができる。(貴族の舘)

4.仮名文字(ひらがな、かたかな)ができ、カナ文字を使った随筆、物語などが抱えるようになった。

5.やまと絵という日本的な絵が発達した。

6.奈良時代にできた蒔絵がものすごく発達した。

7.女性の十二単

8.お相撲

9流鏑馬

10.陰陽師

などなど、、まだまだたくさんいろいろな日本独自(まあ、その前の外国文化を吸収した)文化が発展していったのです。

陰陽師というのはですねーー

もともと、律令制の日本において陰陽寮に設置された官職で、陰陽道(中国古代の学問や思想から発展した日本の学問、呪術の体系、仏教,道教、神道、修験道など)の知識や技能があるひとのことで、天文学や方位学を使って占いをする人のことです。学者と占い師を一緒にした、国家公務員みたいなものと考えればいいでしょう。暦や節季の予想、地相学を活かして都市計画や気象予報なども行っており安倍晴明という方が有名です。

 

ところで、

 

平安貴族の代表と言えば、、、、、だれでしょう????

Copyrighted free use
File:Fujiwaranomichinaga.jpg

 

これでは分かりませんかね?

そうです。。

ちょっと、この顔はどっかぬけてっぽい顔していますが、、

 

藤原道長ですね。

 

一説には、「源氏物語」の主人公「光源氏」は藤原道長をモデルにしたともいわれていますね。。

まあ、それはどうかわかりませんが、、(特に⇧の絵をみれば。。 🙂 )

 

この方、もとは藤原家の五男にうまれたので、出世もできないような身の上だったのです。五男に生まれたせいかどうかわかりませんが、負けず嫌いで勉強もよくする自信たっぷりの子供に育ちました。ある日兄弟で肝試しをしたときに雨のしとしと降る暗いみちを一人逃げ帰ることもなく、平気な顔で家に帰ってくるような度胸のあるどもだったそうです。

そんな肝っ玉が大きく自信たっぷりの道長は、身体も丈夫で運もよく、兄弟たちが次々とはしかで死んでしまい、いつの間にか藤原一族のトップに上り詰めてしまったのです。

最後の競争相手で、若いころから出世が早く、ブイブイ言わせていた「藤原伊周」は、先代の天皇に間違って(自分の好きな女性のところに誰かが通っていると誤解して、法王だと知らずに)矢をひいてしまったり、東三条院に呪いをかけていると疑惑をもたれたりして、島流しにあってしまったからなんですね。

 

道長は朝廷のトップに上り詰めた後も長い間権力を維持するんです。

どうしてでしょうかねえーー。。。

 

 

ここで質問です。。

さあ、、どちらだとおもいますか?

 

話が脱線するのですけどね。。

この点に関しては、今の日本とあまり変わらないと思います。。

 

「一姫二太郎」という言葉があるように、最初におんなのこ、そして2人男の子、、とこういう感じがいいらしいのですが、(今の日本ではわかりませんが)日本って、おんなの子の誕生を喜ぶ国だとおもうんですよ。

 

イギリスでの話ですが、妊娠したあとにスキャンをしておんなのこの場合、アジア人の家族?には、性別を言わなかった、、と聞いたことがあります。(もしかしたら、都市伝説なのかもしれませんのであしからず)というのも、アジア人は特に、男の子の誕生を心待ちにしているので、おんなのこと分かったとたん、移民のアジア人は赤ちゃんをおろしてしまうことが多かったのだと。。中国人の場合も一人っ子政策でそう聞いたことがあります。

それなので、「日本人っておんなのこが生まれるとめっちゃ喜ぶよ。特に一番最初は、おんなのこがいいっていうよ」と話した時には、「へえーーー」とおどろいた顔をされたことがあるんです。

 

 

話は元に戻りますが、、

 

そうなんですよ。。

 

もう、お分かりですね。。

(画像出所)市販版 新しい歴史教科書 中学社会 自由社
ISBN 978-4-915237-83-6 P.50 より

 

⇧の図をご覧ください!!ひええーーー

 

なんと、道長は自分の娘や孫娘を天皇陛下と結婚させ、しまいには、道長の孫が天皇陛下になっているではないですかーー。なんと、、頭のいい。。

 

この時代は、女性はだれかと婚姻関係にあっても、実家で暮らしていたので、道長の娘の産んだ子供、つまり次期天皇は小さい時から、道長がかわいがっていた子供たち。。。。そして、その天皇もまたまた道長の娘と結婚しているので、実家のように毎日顔をみせているようなもの。。これでは道長もおもいのまま好き放題、やり放題の天下を取っていたも同然ですね。

 

 

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

(この世はわしのものだとおもってしまうわ わしの人生は満月のようにかけたところなんてぜんぜんないくらいに完璧なのだから)

BY藤原道長

 

 

なーーーーーんて、すごい歌を得意絶頂で作ってるんですね。

 

晩年は、出家してお坊さんになり壮大な法成寺の建立に精力を注いだそうです。

 

道長が出家したのも、持病の糖尿病が悪くなり仏様に頼った、、という人もいますが、、道長絶頂期の平安時代の貴族がのびのびと遊びに没頭して文化を作っていったことを思えば、巨大な権力をもって、ブイブイふるまう一面、結構おおらかで人間的奥深い人でもあったのではないかと思います。

 

 

また、33歳から56歳まで書いていた日記「御堂関白記」は、1951年に国宝とされました。これは、当時の政治や貴族の生活がよくわかる一級品の書物だと言われているそうです。すごいですねえ。2012年に日本に帰化したドナルドキーンさんは、日本には「日記文学」という文学があるということに、びっくりしたとおっしゃっていましたが、そういえば、、「日記」が文学になっちゃう国なんですよ。。日本って。。

 

 

大分前に、「ブリッジェンドダイアリー」とかいって、大流行のイギリス映画がありましたけど、(あれはあれで面白かったですけどね)あれよりずうっと前に日本人で、しかも最高権力者の日記が文学的で残っているなんて、なんて素敵なの――っておもます。

 

第2の余談になりますけど、

 

ドナルドキーンさんが「わたしが日本人になった理由」のなかで言っていましたが

 

日本軍は、

 

「戦争中でも、毎年元旦に真っ白い日記が兵士みんなに配られていた」

 

そうなんですよ。

 

それで、キーンさんは、

 

アメリカでは考えられないと。。なぜなら、

 

「その日記が、敵にみつかったときには、情報が漏れてしまうから」

 

だそうです。。そりゃあそうですよね。。わかるわかる。

 

日本兵は、情報というよりも、日常生活についてを書いている人の方が多かったらしいですが、やはりそれでも日記から作戦がばればれのこともあったようですね。。 💡

 

まあ、それくらい、日本人は何でも書き留めるのが好きな人種ということではないでしょうか。

年末年始のスケジュールノート手帳も、日本みたいにたくさんの種類の手帳があるなんて見たことないですしね。(うっぷす。。イギリスとしか比べられないのでわからないのですが、他の国ではあるのでしょうかね。教えてくださいね。)

 

また脱線しましたね。。すみません。

 

とにかく!!!

藤原道長の日記がいまや「国宝」となっていることは、知っておきたいものです。

 

 

 

最後に、、、斎藤先生からの楽しい質問が出ました。

 

平安貴族のきまりに、朝おきたらかならず自分の(  )を7回唱えました。

 

(   )には何が入るでしょう――???

 

 

ちっくたっく、ちっくたっく、、

 

 

わかりますかー?私はわかりませんでした。 😯

 

 

答えは、、、

 

 

「自分の生まれた星」を唱えるそうです。。

 

自分の生まれた星をあの当時もう知っているなんて。。モダンですね。。いいことあるのかな?ちょっとこれからやってみたいなと思いました。 🙂

 

凶日、吉日、結婚をしてもいい日、葬式はよくない日、お風呂に入ってもいい日、いけない日、外出してはいけない日、帰宅してはいけない日などがあったそうです。おもしろいですねーー。

 

 

あともうひとつ質問いくよーーー!!

 

 

 

毎月の一日に体を洗うと(  )する。毎月八日に入ると(  )する。

 

 

 

ちっくたっく、ちっくたっく。。。。

 

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お分かりになりましたか????

 

答えは。。。

 

 

長生きと、早死に。。。。。だそうです。

 

 

毎月一日にお風呂に入ると、長生きする。八日に入ると、早死にする。。

 

と信じていたようですー。

 

ほおーーすごいですねえー。

 

まあ、わたしも

「夜爪を切ると、親の死に目に会えない」

という迷信を信じて、なかなか(といってもたまには切ってしまうから)夜には切りませんが。。

 

 

平安時代の貴族の生活って、相当、怨霊やら悪霊、鬼、地獄を信じていたようですね。まあ卑弥呼の時代から霊、自然の神様の存在は感じ、占いで物事を決めてきたという所もあるのかもしれないけれども、国の制度も整ってきて、安定した暮らしになってきて、色々と想像することも娯楽となっていったのかもしれないなと思いました。それか、よっぽど策略を練って人を蹴落としていたのですかね。。(爆)

だいたい、毎日朝から晩まで忙しく働いていたら、怨霊とかいっていられないですよね。とっとと疲れて寝ちゃいますわ。それに、正直に生きていたら鬼や地獄なんて怖くないですよねえ。

 

よっぽど、わるいことを陰でしていたか、暇だったに違いないと思うのですわ。

 

まあ、それは冗談としても、、

貴族の優雅な遊びのなかで、私が個人的にいいなーーと思うのは、

いろいろな練香を持ち寄って、それを焚いて優劣を競う薫物合わせ!!

 

 

平安時代の庶民の暮らし

『信貴山縁起』「尼君巻」

を描いている絵巻の説明を読んでみてください。

 

平安時代の貴族は贅沢三昧で、庶民は極貧だったとかいうけれども、でも、400年近くも平安時代が続いたということは、平穏無事な時代だったからといってもいいのではないかなと思いました。

 

 

 

 

 

まとめ。。

 

最初は、「平安貴族」って、のんきに暮らしていて、やることなくて暇だったからこんな文化が生まれたのだ。。なんて思ってしまったのだけど、平安貴族の暮らし、生活を調べてみると、一つのことをやるのに時間がかかっていて、暇だったわけではなかったのではないかと思うようになりました。

なんといっても、女性の髪を解いてきれいに束ねたり、十二単を着るのにも相当の時間がかかるし、着物の染め物の素晴らしいこと!あの時代に、あんなに綺麗な色を出すには相当の時間がかかりますよね。(まあ貴族の女性が作るわけじゃないといってしまえばおしまいですが、指導をしたりはしたでしょうね、だってそれだけ造詣がなければあのような着物はできませんもの)一つ一つの動作や作法に時間がかかり、やっと着物を着たと思ったらお化粧をして、本を読んで、勉強して、と時間がいくらあっても足りなかったのかなーーなんて思ってしまいました。

 

だから、平安時代と聞くと時間がゆったり流れているように感じられるのだなと今更ながらに納得をしてしまいました。江戸時代が、265年つづき、あの時代に様々な芸能や芸術が生まれ、明治維新につながる蓄積ができた、、といわれますが、390年も続いたといわれる平安時代にも素晴らしい文化が花開き、その後の日本の文化にものすごく影響を与えてきたのですね。

 

これで、第17回、藤原道長と平安時代の貴族の生活の授業報告を終わります。

 

きりーーつ、れい。

 

それではまた!!! 😀

 

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