こんにちは
この間、Learn Japan の歴史教室の斎藤武夫先生とお話をしていた時のこと、
「自国の歴史「国史」を知ることはとても大切だけれども、「国語」の勉強も同じくらい大切だ」
ということをおっしゃっていました。
そして、最近の国語の授業
は、「コミュニケーション」というツールの勉強に成り代わっているようで、
それでは、
「過去とつながれなくなってしまう」
といった言葉がとても印象的でした。
言葉の中には先人たちが残した、日本人の歴史や精神、ものの考えかたがあるので、
古典の教育や音読、素読などはとても大切だそうです。
そういえば、「声に出して読みたい日本語」の斉藤孝さんも同じようなことを書いていました。
朗読することによって、その文章やセリフを作った人の身体のリズムやテンポを、私たちは自分の身体で味わうことができる。それだけでなく、こうした言葉を口ずさんで伝えてきた人びとの身体をも引き継ぐことになる。世代や時代を超えた身体と身体とのあいだの文化の伝承が、こうした暗誦、朗誦を通しておこなわれる。
文章の意味はすぐにわからなくてもいい。長い人生のプロセスのなかで、ふと意味の分かる瞬間が訪れればいい。こうしたゆったりとした構えが、文化としての日本語を豊かにする。
↓P.202からの引用
さて、斎藤武夫先生とのお話で、なるほどなーと思っていたところ、今度は虎ノ門ニュースで、竹田恒泰さんが、「最高敬語」についてお話されていました。
1時間5分くらいからです。
最高敬語とは?
天皇や皇族、外国の国王、王族にのみ使われる言葉。
「陛下」 天皇・皇后・皇太后・太皇太后
「殿下」 上記以外の皇族
私がびっくりしたのは、戦後、文部省が「最高敬語を将来なくしていく。」という方針を決めたということ。
そして、
昭和22年(占領下)に、宮内庁と報道機関の間で、「これからは、普通の言葉の範囲以内で、最上級の敬語で皇室に対して使っていきます。」
という申し合わせがあったそうな。。
そして、昭和27年(占領が解除される直前)には文部省が「これからの敬語」という方針を出し、皇室には、親しみやすい敬語を使うと
いう方針を決めて、その時に、「二重敬語を使ってはいけない」などその他細かくいろいろなことが決まったそうです。
そう!ということは、
それまでは、二重敬語ってつかわれていたんですねーー。
というか、、竹田恒泰さんによると、
「戦前、二重敬語はあたりまえだった
ちょっとーーしりませんでしたよ。
二重敬語が許されるなら、そのほうがいいなあー(爆)
外国人の生徒さんに敬語を教えるときも、あまり苦労しなくてよさそう。。
そして、なんと将来的には「敬語そのものをなくそう」としようというのが当時の文部省(今の文科省)の方針なのだそうですが、
これは、、なんで―ーー??
敬語は、たしかに使うのが難しいですけど、聞いていてきれいですよね。
この番組の中で、有本さんが
「そもそも、敬語があるということは、身分の高い人ともお話ができるということ、他の国では
身分の高い人とは、そもそもお話ができない。」(昔のことだとおもうけど)
とおっしゃっていたけど、なるほどなあ。。と思いましたよ。
(余談)
ただ、みんな英語には敬語はないとは言うけれど、やはりそれなりの話し方はありますよ。歴史ドラマとか見ていると、やはり
王様や貴族の人たちが話す言葉は身分によって使い分けられているみたいだし。。
日本語みたいにわかりやすく複雑じゃないだけですよね。。
「宸襟を悩ます(しんきんをなやます」
意味は分かりますか??
宸という字は、天皇という意味だそうです。
宸は、北辰(北極星)からきている言葉で(「衆星北辰をめぐる」)
北極星だけがすべての星の中で動かないことから、中心にいてとどまって動かないことからきているそうですよ。
襟とは、襟のこと、つまり天皇の襟元のことをいい、「天皇の心」とか「天皇の頭」とかいうのは恐れ多いので、
襟もとということで、天皇の心のことを表すそうです。
ということで、
「宸襟を悩ます」という言葉の意味は、「陛下のお気持ちを悩ましている」という意味になるということです。
その他、沢山ある天皇の敬称についてなども☝の動画では話していたので、
興味のある方がいましたらご覧になってください。(最高敬語については、1時間5分あたりから始まっています。)
こんな言葉も、、。
こういった言葉は一生に何度かしか使ったり読んだりすることはないのかもしれませんが、知っておきたいですよね。
☝の宸襟、の言葉のように一つひとつ意味があるし、意味をしっていれば昔の本を読んでも理解することができて、私たちの祖先の気持ちや考えとつながることができる、、と思えば、なんだか壮大なロマンを感じて、勉強する気にもなりますよね。
私は、本を読むことが大好きだったから、国語の時間は好きでしたが、高校生になって古文や漢文の時間に「読み方」やその法則、「意味」だけを習うようになって、だんだん、国語の時間が面白くなくなってきました。
もしかしたら、私が気が付かなかっただけで、先生は情熱をもって教えてくれたのかな――とも思うのですが、、どうだったのだろう。。
過去とつながるといえば、、この和歌
「秋の田の かりほの庵の とまをあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ」
この歌って、「天智天皇」が作ったんですよね。。誰のことを歌っているかというと、「農民の気持ち」を歌っているんですわ。
これって、すごくないですか???
天皇が農民の気持ちになって、和歌作っちゃうっていうところに、日本人の基本精神っていうのかな、、基本的なものの考え方が表れていると思うのです。
和歌の5,7,5,7,7のリズムもよいし、とまをあらみの「とま」は、かややススキなどの草を編んで作った屋根だそうですが、
「屋根があらいから」っていう意味なんでしょうね。
いまでいえば、「そで」を衣手とよむところも、いいですね。全然意味わからなくても、情景が浮かんできますねー。
言葉には、いろいろな歴史や先人たちの教えが入っている、宝石のようなものなのだなーと改めて感じています。
敬語を徐々になくそうという方針が文科省にあると知って、ビックら仰天ですが、せっかくの宝物をなくす必要はないと思います。
「徐々になくす」っていうけど、いったんなくしたものは、戻そうと思った時には、もうすごく時間がかかります。
私はウェールズに住んでいて、ウェールズ語の回帰ということで、ウェールズが国を挙げてウェールズ語を取り戻そうとしているのを知っているので消えつつある言語を取り戻す大変さをよくわかるつもりです。
それに、言葉を話しのツールや情報伝達のツールだけとしか考えないのだったら、味気のない世界になりそうですわ。
何かを説明したり、論議する能力は磨かなければいけないと思いますが、そこに心や話す人の人生経験や歴史、つまり「魂」が入ってからこそ、
議論した時に相手を納得させられるのではないかなーと思います。
だいたい、幕末の志士たちが外国と交渉した時の、すごい交渉力は、どこからでてきたのか??
魂がはいっていたんじゃないでしょうかね。日本魂が
それに、、なんていったって、「国語」って、国の言葉ですものね。つまり、、言葉って国の物語といってもいいのかも。
ということで、最高敬語は、なくしたくないので、メディアの人たちにはどんどん使ってほしいとおもっています。
言葉は文化、、日本語を継承するということは背後にある歴史や先人たちの魂や考えとつながること、そしてそれは、
国の物語を継承すること、ということなのだと改めて感じました。
子供たちにも、そんなことを伝えていきたいです。
さて、、
Learn Japan では、海外に住むお子様、大人の方のための「日本が好きになる歴史教育!」教室を開催しています。
第70回授業の52回まで終わりましたが、1回1回の完結授業ですので、途中からの参加でも全然大丈夫です。
これから近代史に入っていくので益々楽しい授業になると思います!!
海外に住んでいて、日本の歴史を学ぶ機会はなかなかないと思います。海外に住んでいる方は」ぜひ、国語だけでなく歴史も学ぶことをお勧めします。
斎藤先生のオンラインライブ歴史教室についてはこちらをご覧ください。
それではまた!!
最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
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