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地政学と歴史

地政学

地政学とは、「地理的な位置関係が政治国際関係に与える影響を研究する学問である。」(ウィキピィディア)
です。日本が世界的に見てどのように位置にあるかとか、中国は、イギリスは、ドイツは、フランスはと考えていくと、その国のあり方、人の考え方が「なるほどーー」と理解できます。

大陸の中で地続きにつながっている国に住んでいる人の考えや外交と、土地がつながっていない島国の人の考えや外交は違いますね。

自分にたとえてみればわかりやすいです。たとえば、となりの家と自分の家の境が決まっていなくても、お互いに同じ価値観の人がお隣さんならば問題なくすごせますが、お隣さんが何かの都合で別のずうずうしい人に代わったとして、朝起きたら自分の家の庭が少しけずられて新しいお隣さんのものになってしまったとします。最初は「少しだからしょうがないや。お隣さんいつもあいさつしてくれるし、陽気で親切なひとだからまあいいや。」と思っても、毎日毎日少しづつ自分の庭が小さくなっていったら。。どうしますか?

話し合いで解決しようと思ったら、いつのまにか、その隣の人は愛想よくほかの近所の人とすごく仲よくなっていて、他の近所の人と一緒に「まあ、いいじゃない。最初から庭がなかったと思えば」といわれたら。。

まあ、これは例え話ですが、地続きに国があると領土の問題とかあいまいにできないし、のんきにしていると大変な目にあうかもしれないので、よくいえば、用心ぶかくなり、悪く言えばだまし合い上手になり、(そうしなくては生きていけないので)そして、地続きの人たちみんなとおなじ価値観だったほうが生きていきやすいので、拡張主義になるし、またいちいち色々なことを気にしていたら生きていけないので、おおらかにもなるのではないかなと思います。

反対に、島国は少し違うと思います。近所の人が勝手に自分の土地に入ってこれないので、資源があり、自給自足さえできれば同じような価値観の人たちと一緒にある程度はのんびり過ごせるのかもしれません。ただ、同じ島国でもイギリスと日本は違うようです。なぜなら、

イギリスの場合、イギリスと大陸の間に隔てられている海が、比較的穏やかで距離も短いので、人や物、それに大量の人(軍隊なども)行ったり来たりすることが簡単で、イギリスはローマ人に征服されたこともあるし、そのためか、狡猾なところがあるとおもうのですが、日本は、日本と中国大陸の間の海は、穏やかどころではなく、流れも速いし荒れているので船でわたるのも大変でしたから、大量に人や軍隊が日本列島に来ることができず、他民族に征服をされた歴史がなく性善説を信じているひとのほうがおおいのではないでしょうか。

そういった地政学てきなところから、いろいろな国を見ていくと、「何だあの国??」と思っていても「なるほど、、こういうお国柄でもしょうがないな。。」と思えてくるのでとても面白いです。

日本は島国、そして自然災害が多いということで、人との信頼関係を大事にしていないと生きていけない国です。いくら策略を尽くして土地をたくさん持ったり、権力をもったとしても、予想外の自然災害で一気に広大の土地が価値のないものになってしまったりしますし、権力では災害を止めることはできないですから、助け合うこと信頼し合うことが、生きていくために必要だったのだと思います。また、他の国から情報や物が入ってくるときも命がけの思いで海をまたいでくるために、何でもかんでも入ってくることはできず、日本に来てからも合わないものは日本文化にとりいれないという、取捨選択がしやすい環境があったと思います。よく言えば、みんなと仲良くやっていれば、あまり心配なく暮らせる平和な国で、悪く言えば、自然災害さえ乗り越えることができれば平和に暮らせるので、閉鎖的になってしまいがちというところがあるかもしれません。

さて、面白い本をよみました。(これは地政学ではなく地形についてのものですが)

「日本史の謎は地形で解ける(文明。文化篇」竹村光太郎著

 

この本の最初に、「なぜ日本は欧米列国の植民地にならなかったか」という題名で著者の考えが述べられています。この本によると、

「1853年にペリーが江戸湾入口の浦賀沖に姿を見せてから、翌年1854年3月に「日米和親条約」締結したその年の7月に、M7.2 安政伊賀地震が発生し、約1800名の死者が出た。同年12月23日にはM8.4の安政東海地震、その32時間後の24日にはM8.4の安政南海地震が起き、合わせて約1-3万人死者が出たという。特に、安政東海地震では、伊豆下田に停泊中だったロシア軍官は津波に呑まれて沈没したという。さらに、翌年の1855年書と江戸をM6.9の直下型巨大地震の安政江戸地震が襲い、7000人から1万人の死者が出たそうだ。地震だけではなく、大雨で川が氾濫し江戸じゅう大水害にも見舞われ、日米和親条約締結後の5年間、日本列島で起こる災害は欧米人を恐怖のどん底に落とした。」

「薩英戦争と、下関戦争では、王米軍の得意とする強力な騎馬隊による素早い行動と制圧が、日本列島の70パーセントの起伏の多い山々で平地といえばじとじととした湿地隊では封じられてしまい陸上を制圧することができなかった。」

だから、「この日本列島の気象や地形の支援が、欧米列国から日本を守ったのだ」というのです。

この本の中で、12月24日に地震があったと書いてありますが、12月24日といえば、クリスマスイブではないですか!!欧米人のクリスマスへの愛着というものは、日本人にとっての除夜の鐘をきいて、お正月の朝家族全 員が勢ぞろいしてお父さんのあいさつで「あけましておめでとうございます」というのと同じものでしょう。そのような神妙でゆったりした日になるはずの日 に、経験したこともない「地震」を体験してしまうなんて!きっとこの世の終わりだとおもったにちがいないなあ、なるほど、と思いました。

ただ、日本が植民地にならないですんだのは、それだけではないとはおもいます。やはり、幕末から明治にかけての日本人が死にもの狂いで外国との交渉し、必死に日本という国をつくっていかなければ、そして縄文時代から続く日本の知恵、代々続く皇室の存在がなければ、いくら地震や津波があろうとも、日本はひょいひょいと征服され植民地にされたことでしょう。

これを読んだ時思ったのですが、元寇が来たとき台風が来て船が壊れて日本は助かった、、という話と似ているなと思いました。

元寇のときに、時の鎌倉幕府の執権の「北条時宗」が大変素晴らしく先見の明のある人で「元」の恐ろしさや侵略の意図を見抜き海岸に石塁を作り防衛に手を抜かず、勇敢な鎌倉武士が勇敢に戦って頑張ったという話は、神風の話があまりにも有名なので忘れがちですが、(このお話しは、斎藤先生の授業では北条時宗と元寇という題で詳しくまなべます。)知っておかなければならないことだと思います。

地政学、地形学、元寇と、話しがあちこちに行ってしまいましたが、わたしがいいたかったのは、何をするにも物事を多角的に見てみると、いろいろな発見があって楽しいということです。そして、何かがあったときの理由というのは一つだけではないということです。

日本の歴史の話を読んでいるときに、「ああ、そういえばヨーロッパでは何が起こっていたのかな?」とか、他の国と比較しながら読むことが好きなのですが、(いまだに中学時代の歴史対比年表を持っています。笑)今度は、地政学的なことも頭に入れて読んで見ようと思います。

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