あけましておめでとうございます。
去年はなんだか11月くらいから、忙しく年末年始は日本で過ごしていたので、
ブログもすっかりご無沙汰になってしまいました。
そうした中で、ありがたいことに、今年ももうすでに進み始めているプロジェクトがあり生き生きとした気持ちで新年を迎えることができました。
また、去年もたくさんの方のお力添えのおかげでLearnJapanを運営することができたことに心から感謝しています。
色々な方とのご縁を大切にしながら一歩一歩進んで行こうと思っていますので、また今年もどうぞよろしくお願いいたします。
「小柳左門先生の和歌と日本のこころ」勉強会
さて、今年初めのお知らせは、「小柳左門先生の和歌と日本のこころ」の勉強会のお知らせです。これは、子育て和ごころ塾の白駒妃登美先生が4年前から司会、主催をなさっている講座で今年で5年目になるそうです。
私は、2年ほど前から、なぜか「和歌」に興味を持ち始めて、ちゃんと勉強したいなーなんて考えていた所だったので、このお話が舞い込んだので、びっくり仰天でした!
和歌は、5−7−5−7−7ーの中に季語を入れる必要がなく、誰でもすらりと、いい感じでリズムよく自分の気持ちを言えることができる手軽さがいいなと思うのと、一つ一つの歌が、人によって解釈が違うというのが暗号みたいで面白いなーって思うのです。
大人になってからは音読することが少なくなっていたのですが、(日本語では)和歌を読んだり俳句を読む時に声を出して音読すると、なんだか違った響きが感じられるのです。
これは、小説の中のいい文章を音読するときもそうだと思うのですが、和歌の、5−7−5−7ー7に込められるリズムが、なんだか日本人の精神を作ってきたのではないか。。
など、大げさかもしれませんが、そんな風に感じたのです。
とうことで、もし小柳左門先生の「和歌と日本のこころ」勉強会にご興味のある方はこちらの詳細をご覧くださいね。
ちなみに、去年元号が変わり、「万葉集」からとったという「令和」という元号になりましたが、この万葉集に乗っている和歌が第一回目の小柳左門先生の講義だったそうです!5年前にこの講座を始めた時の最初の解説が
万葉集の梅の花の歌三十二首の序文にある
『初春の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす』
だったそうです!
面白い偶然?ですね。。
(偶然の「偶」って、2つ並ぶ、とかそういう意味で、「然」ってその通り、そのまんまって言う意味ですよね。と言うことは、偶然の意味って、「たまたまそうなった」と言う意味ではなくて、従来2つあるものが自然っていう意味で「必然」っていういみなのかなーっとも思えてきます。)
小柳左門先生の勉強会なのですが、この勉強会では、左門先生が一首一首先生がその日に選んだ和歌を説明してくださり、それによって大昔の日本人が詠んだ歌を感じ、感じることで感性を養うという会なのだそうです。
感じて、感性を養うための勉強会
和歌を聞いて、昔の人の気持ちや想いを共有する。。
そう、、感じること、といえば、、、、
去年の11月に、弟が遊びにきて
色々話した中で、
なるほどなーと思ったことが、
「最近(厳密には今まで)は、感情や感覚というものの価値が忘れられているよね。。」
ということでした。
「科学的に正しいこと」
「証明されたこと」
「証拠の発見」
こういったものに価値があるのは、当然のことかもしれないのだけど、
そう、価値が置かれるべきなのは、それはそうなのだけども、
「人の感情と感覚」というものが忘れ去られている。
そこに、現代社会の問題点があるのではないのかなーという話だったんです。
自分が何者かを思い出すために
人間には、感性と知性があって、感性はその人間の生きていく根っこだとしたら、知性は枝葉なのだということを聞きました。。そういったことを聞くと、この間弟と話した話が、すんなりと心の中に入ってきます。
まあ、感性を磨くのには、和歌だけである必要はないのですが、私にとっては、
なぜ私が和歌を勉強したくなったのか、なぜ弟と感性の話になったのか、なぜ元号が万葉集から選ばれたのか、全てが繋がったようで、ぴーーんときています。
去年は3年間続いた、大好きな斎藤先生の「歴史教室」が終わり完全燃焼した気分で
今後どうしようかなーと考えていた時に
前からご著書を読ませていただいていて、個人的に大ファンだった博多の歴女「白駒妃登美」先生とご縁ができ
「日本のこころを伝える、子育て和ごころ塾」を立ち上げることができ、その白駒先生のご縁で、またしてもずうっと勉強したかった和歌の講座を開催できることができることは、見えない何かがつながっている様です。
この世の中で起こる、全てのことは繋がっている。。
そして、つながりの中でこそ、「自分が何者なのか?」ということを思い出せる。
そんなことを考える、年始めです。
みなさま、また今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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